オランダ防衛戦記
1944年 欧州戦線の死闘 †
では、1944年を始めていきましょうか
今年もよろしくお願いいたします
年始のスライダーはタカ派に振りました。これでタカ派はMAXです
大変結構
1月〜 ポーランド戦線 †

ポーランドに上陸した戦車師団は1月の時点で8になっております。少数でもソ連軍を包囲殲滅できないかと画策していたのですが

我が軍の動きに呼応したフランス軍がポーランド沿岸部に戦力を増強したため、ダンツィヒから領土が繋がりました
本当は包囲殲滅するように動いてくれると助かるのですが

2月初頭、こっそりつくっていた司令部師団III型が完成したため、レインダース中将を大将に昇進させたうえで指揮をとってもらいます
謹んで拝命します
頑張って頂戴

最新型にアップグレードが完了した戦車師団を随時前線に投入し、3月上旬には司令部1、戦車10師団を攻勢に回しております。
機動力を活かして小規模でも包囲を狙ったのですが・・・
基本的な戦力差が如何ともし難く、包囲の状況をつくることが困難です*1
この後、倍程度のソ連軍の反撃を受け、包囲殲滅を避けるため、オランダ本国に全軍を撤退させました。
別件ですが、英国からの政治干渉により、スライダーが介入に1振れております。
4月〜 ヨーロッパ戦線の苦闘とイギリスの活躍 †

ポーランド北部に戦力を回したこともあってか、ドイツの戦線が薄くなり、4月になるとフランスがソ連に押し返され始めました
ちょっとこれまずいんじゃないの

5月にはザールブリュッケンにまでソ連軍が進出。我が国の占領した地域が危機にされされています
フランス領イタリアの支援のために4個戦車師団をフランス方面に回していたのですが、本国の部隊と分断されてしまいました
充足が危険な師団もありますが、ここを抜かれると本国しか残らないので死に物狂いで叩き返します

その後、必死に防衛を続け、なんとかケルンとドルトムント侵攻は阻止しました。
戦車師団は足が速いので、多方面攻撃をやりやすいのがいいですね。
冷や汗ものだったわ・・・
一方でペルシア方面からソ連の後背を突いたイギリス軍は、高速師団が中心ということもあり、快進撃を続けております

4月22日にはついにロシアを東西に分断、シベリアの工業地帯もほぼ制圧しており、ソ連のICはボロボロです
アルハンゲリスクにも上陸を成功させており、やりたい放題ですね

5月14日にはタンヌ・トゥヴァが併合され

8月1日にはモンゴルが滅亡しました。極東ソ連軍はもはや死に体でしょう
9月 ソ連の落日と領土切り取りレース †

9月1日、東から進撃してきたイギリス軍により、ついにモスクワが陥落しました

ソ連のICはゲーム開始時のフランスくらいになっています
もはや連合国の勝利は確実ね
この影響か、9月も半ばを過ぎるとヨーロッパ戦線におけるソ連軍の圧力も弱まってまいりました
イギリス軍がかなりのスピードで東から攻めあがってきていますので、我が国も攻勢に転じます

10月4日、充足が比較的マシな戦車師団11個を防衛線から引き抜き、ポーランド北部に揚陸、可能な限り東欧の確保を狙います

10月16日、ワルシャワ攻囲を開始。ほどなく攻略に成功しました

10月26日、キュストリン攻略作戦を発動同。ここを分断すればヨーロッパのソ連軍をほぼ完全に孤立させることが可能だったのですが・・・
補給地点が近いためかソ連軍の指揮統制が高めで、結局寸断は叶いませんでした

とんで12月3日、ビドゴシュチ攻略戦。この頃になるとソ連軍は数的にも脅威ではなくなり、寡兵の我が国でも優位に戦えるようになりました

5方向から攻撃をかけているのですが、60%も戦闘ボーナスがついていますね。

12月12日の時点におけるポーランド付近の様子です。北海から上陸してくるイギリス軍の援護もあり、ほぼ一方的にソ連軍を蹴散らしています。
・・・払った犠牲分の領土は得られそうかしら

12月14日、ついにイギリス軍が太平洋に到達、ソ連横断を成し遂げました
戦争の終わりも近そうですね
次回に続きます(出番ないな・・・)
前回 → 1943年 対ソ戦争の開始
次回 → 1945年 不思議大戦の結末